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ここには、当サイトで新たにアップロードした記事等の情報を載せます。最新の記事がどこにあるかを案内します。メニュー画面へは、スマートフォンの場合は右上の三本線をクリックしてください。また終わりには、若き頃書いた「何故旅に出るのか?」というエッセイを載せました。ご一読ください。
1「旅する編集人Ⅱ」の⑥、山の旅として、今夏の木曾御嶽(おんたけ)山行記を、アップしました。(24年10月1日) 今回の写真は後日掲載予定です。
これから随時、山登りの記録も公開しようと思います。
北側の開田高原から見た御嶽山
2「旅する編集人Ⅱ」の⑤、海外の旅 24年2月~3月 香港・マカオを旅する、をアップロードしました。(24年4月7日)香港島には、2階建てバスだけでなく、2階建てのトラムも現役で走っている。
3「旅する編集人Ⅱ」の④、23年11月の瀬戸大橋の南北を旅する、をアップロードしました。(23年12月31日)
岡山後楽園の庭 芝生に唐笠が点在
4「旅する編集人Ⅱ」の③、23年6月の東北の旅をアップロードしました。今年から『大人の休日倶楽部』に入り、そのパス利用での夫婦旅行でした。
盛岡冷麺の店「ぴょんぴょん舎」の洒落たお庭
5「旅する編集人Ⅰ」の⑩、22年9月『オランダとドイツ中南部への旅』に、改めて追加の写真を掲載しました。(23年8月31日) (23年12月31日)
デルフトの新教会で、室内楽の演奏会が行われていた
※ 巻頭のテーマに使っている風景写真は、アメリカ・ワシントン州のディセプション・パスと呼ぶ瀬戸からとったもの。画文集『旅の空の下で』最初の2006年、6番目の写真解説に詳しい。
以下の文章は、こうした旅のエッセイを書き始めた時に、「旅のマニフェスト」として巻頭言として書いたものです。(1988年6月 初出)
『何故、旅に出るのか?』「旅の空の下で」の序に代えて
私は旅が好きだ。それも最近はもっぱら海外旅行に傾注している。旅に行く予定のある休みが近づくと、心は早や訪れようとするかの地へと飛んでいる有様だ。
もっとも、旅を実際に行くようになったのは、ここ十年くらいのことだ。それまでの旅は、地図の上をなぞる旅。時刻表の上をたどる旅、そして旅行写真集を見て思いめぐらす旅だった。
まだ小学生の頃、「地名あてクイズ」というのをよくやった。近所の子供たちが集まって学校の地図帳の同じページを開き、一人がそこにある地名を言って他の者が探し当てるというものだった。なかなかおもしろい遊びだった。そして図中にあった遠い外国の地名に憧れ、「いつかは行ってみたいな・・・」と、思わずつぶやいたものだった。親が買ってくれた『世界文化シリーズ』なる本は、まだ海外渡航が自由化される前に、既に海外に散らばっていた在外邦人が伝えてくれた楽しい写真集で、私はこれを目を皿のようにして見ていたそうだ。そんな子供時代が過ぎ高校生になると、学校では社会科だけが得意となって社会を理屈っぽく見るようになり、政治思想とか社会学とかをかじるうちに自然と西欧にひかれて行った。こうした知的好奇心が動機となって、正午になると教会の鐘が響くミッション系の大学に進むことになり、4年生の時についにヨーロッパに旅立った。
この時は夏休みを利用した大旅行で、40日間に及ぶ一人旅だった。横浜から船でソ連(現在のロシア)へ渡り、シベリアを空路で越え、北欧からヨーロッパへと入った。それから南へと北イタリアまでおり、反転して最後はイギリスにまで達する鉄道利用の旅だった。初めての旅の印象は、ユース・ホステル泊のおかげで日本語とも離れずにすみ、一方、各国の青年たちとも交流できて良い思い出が多かった。憧れのヨーロッパは写真で見た以上に素晴らしく、石畳がおおう街路の向こうに花と野菜の甘酸っぱい匂いが漂う市場を眺める時など、言葉では言い表せない感動を覚えた。ゴシック教会の上に聳える尖塔とその中に差し込む光が映し出すステンド・グラスの造形とは、異国から来た私の目にはさながら美の極致と思えるほどだった。
こうして初めての外国旅行はたくさんの楽しい思い出を残して終わり、以来私は、金と暇があれば日本脱出を試みる旅行マニアになってしまった。旅の形は常に個人旅行で、これは旅を贅沢なものにしないためにも、限られた時間の中で訪れたい場所をめぐるためにも、必要な手段だ。旅の目的地は、以上のことからもヨーロッパが主になるが、今や世界史や地理を教える身なのでアジアやアフリカなどにも足を運ぼうと思っている。旅の言葉は語学力の怪しい英語。それにドイツ語圏ではさらに怪しいドイツ語が加わる。交通手段はなるべく空路はとらず、地を這う乗り物(鉄道や自動車)か自らの足を頼りにやっている。そうやって何度も旅しているうちに、いつの間にか子供の頃に名を覚えたドレスデンやライプツィヒといった街にも足を運んでいた。
旅の途上ではスリルに満ちた珍道中もあったし、荷物をごっそり盗まれるといったトラブルもあった。ところがこうした様々な経験を、今まで一度も旅行記に仕立てることがなかった。そこで私は、これまでの旅行経験を通時的に記録するのではなく、訪れた都市や農村、出会った自然、人との会話・言葉、旅行技術など、いくつかのカテゴリーに分けて、自分が残した旅を整理しようと思い立った。『旅の空の下で』という、ちょっと洒落た題をつけて書こうと思う。
ところで、世の中には旅を人生にたとえて詠じた俳人もいれば、商いの目的で冒険旅行に乗り出した船乗りもいた。私の場合はなぜ旅に出るのだろう?その理由は一口に言ってしまえば、先にも述べた「好奇心」に尽きると思う。江戸期の終わりに、土佐の沖で難破漂流しアメリカ船に助けられてマサチューセッツに渡った中浜万次郎は、当時まだ15歳に満たない少年だったが、物おじせずにこの白人優位の世界に飛び込み、見るもの聞くものすべてを貪欲に吸収した。まさに彼は、知的好奇心の塊だった。私が旅に赴く時いつも念頭にあるのは、この「何でも見てやろう(小田実)」という貪欲な精神である。それに加えて、西欧への憧れというロマンチックな情熱が未だに私の心を捉えて離さない。これらが私を、旅に駆り立てる動機なのだと思う。 了