明けましておめでとうございます。本年もまた、宜しくお願いいたします。
昨年私は、数えで古希を迎え、今年は満年齢で70歳となります。古希について調べてみると、盛唐の詩人杜甫(とほ)が長安(現在の西安市)で詠んだ『曲江』と言う詩に、「人生七十古来稀なり」という件(くだり)があり、人は七十まで生きるのは稀れ、としている所から来ているそうです。当時の人々からすれば当然で、実際、杜甫も59歳で逝ったと聞きます。その意味で、私も随分、年取ったことになります。
やはりこの歳になると、人生を振り返ることが多くなります。また、我々の世代が次の世代に良き社会を残せるのか、心配になるものです。その最たるものが、「地球温暖化」でしょう。実際、昨夏の暑さは尋常ではありませんでした。誰もが異常な暑さの夏を語り、40度を越えるような暑さの知らせにげんなりしましたね。もちろん、それは日本だけの話ではなく、北半球では極地に近いシベリアやカナダ北部で、暑さが引き金になって山火事が続出しました。かと思うと、冬を迎えた南半球のオーストラリアで異常な高温になったことも、ニュースで伝えられました。
この全世界的な異変を、国連の事務総長グテーレス氏は、「地球温暖化でなく、沸騰の時代」に入ったと警告していますね・・・。考えて見ると、異常な暑さは今に始まった訳でもありません。そしてまた、暖冬という異常気象も以前から徐々に強まって来たと言えるでしょう。今年も日本各地は、雪のない正月を迎えました。
西欧に旅することが多かった私の目に、かつて夏場にその地に旅行することは、そのまま避暑に出かけることと同じでした。8月の初めにスイスのチューリヒなどに出かけると、猛暑の東京から、そのまま秋風の中へ移ったかと思われる涼しさでした。ところが、21世紀に入ると西欧ではフランスやスペインなどから始まり、今やスイスの丘陵地帯に囲まれたこの街でも、真夏には30度以上の日が続き、熱帯夜に近い気候も甘受せねばならなくなりました。エアコンのいらない夏は、過去のものになりました。2023年6月 青森や弘前を旅行し、あおもりでは駅前の「ねぶたの家」も訪問
同様なことは、日本の北海道でも起こっています。おまけに、梅雨のないカラッとした6,7月も限りなく短くなっています。この夏、私たちの世間話にもそしてマスコミでも、「記録破りの暑さ」が語られました。しかし、想像するに、「今年だけが記録やぶり」だなんて言えるのでしょうか。このままで行けば、来年も「記録破り」で、さらに翌年もそのまた翌年も、「記録破り」を更新して行くのではないでしょうか?
我々は、この地上で生存し続けることができるのか?と、真顔で心配しています。日本の公害問題が深刻化した70年代前半、筑摩書房から『終末から』という雑誌が発行されていました。その終末を想起せざるを得ない時代なのだと思います。
何より深刻なのは、こうした地球大の問題に、世界が一致して行動できないことです。大国アメリカは、その国自体でも「温暖化」の現実は目前にありますが、民主党の政策に批判的な共和党員が、未だに「温暖化懐疑論」を語るのには驚きます。彼らは、毎夏40度にもなるテキサスの内陸部の育ちなのでしょうか?この暑さは昔から変わらないと・・・。この地では久しくそうなのでしょうが、一歩外に出れば事態は深刻化しつつあります。
日本の温暖化には、近海の海水温の上昇が原因の一つと言われてきました。ご存知の通り、冷水を好むさんまはなかなか食べることができません。鮮魚店で見つけても、やけに小ぶりなので食べる機会も減ってしまいました。しかし、今年は海水温だけでなく、温暖化の「本丸」、大気温の上昇が話題になっています。実際、夏以来異様に暑く暖かい日が続き、12月になっても冬着がいらない、生暖かい日があったりします。これは不気味では?と感じています。大気中に放出されるCO₂を極力減らすことが重要なのでしょう。
しかし、地球全体を見渡すと、各地で続く戦争など、新たな熱の発生源が多いのに気づきます。ウクライナでは一昨年から、中東ガザでは昨秋から、人が標的にされていることに心が痛みますが、もう一つ、戦闘で毎日が大火事の状況です。山林火災にしても、大気温の上昇が火災を増加させ、悪循環になっています。つまり、CO₂の増加の前に、直に地球を温める行動があり過ぎないのか?という視点も大事なのではと思います。これも結局は、CO₂の増大に還元されるのでしょうが・・・。
こうした人と自然との関係とは別に、人と人との関係も良くない方向に向かうのでは?と心配になります。依然として、無関心ではいられないウクライナ戦争です。不思議なことに、これだけの殺戮を繰り広げるロシアの大統領に、国民はいまだに厚い支持を続けています。政権与党でなく独立系メディアの調査でも、次の大統領はプーチン支持が圧倒しています。そもそも、どうしてこんな事が起きているのか?鍵はプロパガンダと保安機関(FSB)の跳梁(ちょうりょう)です。一人の政治家としてのプーチンが、出身の保安機関を背景に徐々に独裁を強めて来たのが、今のロシア政治です。しかし、その都度選挙で、国民の支持を仰いで来たのがプーチン政治でもありました。
国民は毎日、ロシアは偉大であり、強大な国家であるという、国営テレビのプロパガンダに晒されてきました。2014年にウクライナ東部での武力衝突が始まると、ウクライナはナチであり、この地のロシア系住民が殺害されていると、繰り返し喧伝して来ました。こうしてテレビ局は、ただ政権の一方的な都合の良いニュースだけを流し、見方を変えれば国民をだまし続ける機関へと堕したのです。
一方で国民の批判を黙らせることも、忘れませんでした。保安機関は、プーチンを批判する政治家や弁護士などを、繰り返し弾圧し、時には暗殺を実行する、恐怖の機関となっています。最近では、政権に反旗をひるがえした傭兵のリーダー、プリゴジン氏を、事故死に見せかける形で処分したと言われています。反体制派への弾圧には、逮捕・拘禁・拷問も常とう手段です。さらに、ソ連時代にスターリン体制の下で繰り広げられたという「密告」が、再度奨励されるようになりました。スターリン時代は、愛国少年となった子が親を密告するという悲劇を生みました。しかし現代は、その少年が親世代となって、言うことを聞かない子供を当局に密告していると言います。まことに陰惨な社会です。
11月、ウクライナ支援のため開かれたオペラに駆け付けました。ICU(国際基督教大学)で。
こうした強権政治に無縁の現代日本ですが、この人と人との関係において、居心地が良い社会かと言うと、違うと思います。相変わらず、人をだます詐欺行為が国境をまたいで横行しています。今年の前半は、フィリピンやカンボジアからのニュースが飛び交っていましたね。かつて、外国へ電話すると言うのは大変なコストがかかり、それを支払える者だけの行為でしたが、今は極めて格安に国際電話を使える時代です。便利さが禍いを生んでもいます。
この進歩しない「日本社会」ですが、年後半の話題と言えば、警察や司法への不信を招く事件とその訴訟が続いたことです。無罪だからこそ「再審開始」となったはずなのに、その再審で検察が今も争う「袴田事件」もあります。しかし、私が注目したのは、すでに検察が起訴を取り下げた大河原化工機の外国為替・貿易法違反の事件です。冤罪に見舞われた会社幹部が、この年末、ようやく損害賠償を勝ち取ることになりました。
この裁判の過程で、当時、事件性に疑問をもった一部の検察官が、改めてこれを、「言わば、捏造ですね」と証言したと言います。ねつ造したのは、対中輸出を禁止する法に触れたとする公安警察でした。さらに、十分な確認もせぬまま検察がこれを後追いしました。こんなずさんな事件があったとは、驚くばかりです。そして更に唖然とさせられたのは、捜査の中心にいたM警視が、この失態にも拘わらずその後警視正へと出世しているという事実です。
作家の半藤一利さん(故人)の戦記物『ノモンハンの夏』は、1939年夏の満蒙国境での関東軍とソ連軍の戦いを描いたものです。関東軍はソ連に完敗しました。しかし、責任を取るべき参謀の辻政信は、にも拘わらず以後も日本陸軍で出世して行きます。辻はこの敗戦の責任を現場の下士官に押し付け、拳銃を渡し自害へと追いやりました。片や保安警察、片や旧陸軍ではありますが、今もこの居心地の悪い日本社会が続いているのでは?と疑いたくもあります。
昭和記念公園の紅葉は、今年も遅ればせながらやって来ました。
最後に私の身辺のことを語ると、昨年勤務先のデイサービス施設が好業績を残したまま閉鎖となり、その後は仕事らしい仕事に就かぬまま来ています。慎ましく暮らせば何とかなる生活を続けています。70歳から80歳までの向こう10年間、健康に気を付けながら歩いたり、登ったりしながら、暮らそうと思っています。
今年の目標と課題は三つ・・・
① 昨夏から市内の合唱団に参加し、来月末にはコンサートを迎えます。バスのパートを受け持ち、バッハとヴィヴァルディの曲に挑戦します。何しろ、私の歌好きはかなり遺伝的なものらしく、母も実業団の合唱団に参加していました。直ぐ下の叔母も死ぬまで合唱をやっていたと、従姉妹から聞いています。
② 2月末から3月初めにかけて、夫婦で香港の長男に会ってきます。マカオにも出かけます。旅の記録の材料に使えそうです。途中から、長女も香港行きに便乗するそうです。
③ 夏に、昨夏果たせなかった木曽の御嶽山登山を行うつもりです。噴火には、せいぜい気を付けるつもりです。
旅に関してですが、昨年は一度も海外に行きませんでした。理由は、円安の進行です。今まで120円/ドルだったものが、昨年後半は150円近くにもなりました。これでは、なかなか海外は難しいでしょう。今年後半はドル円格差が縮小し、香港以外へも行かれればなあと思います。
長々と、所信を述べました。自分のことだけでなく、皆さまのご健康とご活躍も併せて、祈るばかりです。
2024年 正月
以下、私の「新年のご挨拶」のバックナンバーです。
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。23年正月
二年ぶりの新年のご挨拶です。昨年は、その前年秋に義母の逝去があり、新年のご挨拶を遠慮させていただきました。
それから二年経っても、コロナはなかなか終息してくれませんね。昨秋の初め、三年ぶりに欧州へ出かけましたが、どうやらその時感染したのでしょう、帰国した9月末、抗原検査で陽性になってしまいました。旅行中に体調を崩しましたが、そのまま回復。無症状と言ってよい状態でした。寧ろ、その後で何かしら咳が出たり、皮膚が痒くなったり、コロナの後遺症ではと思われるものが今も断続しています・・・。老いのせいもあるでしょう。困ったものです。皆様も、ご自愛ください。
22年は、春夏秋と、「旅する編集人」でも触れましたが、長男が住む兵庫県芦屋市を拠点に、関西旅行を楽しみました。コロナとは言え、閉じこもっている性格ではないので、国内外に旅に行っていました。今年もこれは変わらないでしょう。
11月末、秋の京都行きの際、京都の東福寺で 予想以上に素晴らしい紅葉に出会いました
ところで、ここ数年、関心を持って来たことに、かつての独ソ戦の舞台、ロシア西部やウクライナでの戦記を読むことがありました。きっかけは、大木毅さんの著『独ソ戦』(岩波書店)を読んだことです。この戦いは20世紀に行われた世界大戦で最大の犠牲を生み出したと言います。日本も大戦中、軍民併せて300万の犠牲を出しましたが、ソ連は1000万近い兵士と少なくとも500万以上の民間の犠牲(加えて病死や餓死者の数はほぼ同数か)が出たと言います。対するドイツは、軍民併せて800万近い犠牲(更に病死者も)が出ました。両国とも、日本とは桁違いの数です。
また、この戦いの大地がいかに広大か?ゆうに東西・南北ともに、2000㎞を越えるでしょう。十数年前、バルト三国の一つエストニアの首都タリンから隣国ラトビアへとバスで向かう時、ターミナルには途方もなく大きなルート図が掲示してありました。ロシア系住民を今も抱える三国からは、ロシア各地に長距離バスの路線が出ています。それらをできるだけ図に描こうとしたため、巨大な看板になったのです。その地が殆どすべて、独ソ戦の舞台でした。
更により詳しい史実に当たろうと、英国の軍事史家アンソニー=ビーヴァー氏の『第二次大戦1939-45(上中下)』(白水社)という大著を街の図書館から借り出し、特に独ソ戦の項に当たりました。話には聞いていたレニングラード攻囲戦(市民の凍死と餓死が際立った)やスターリングラードの攻防、ナチスによるユダヤ人虐殺(進軍したナチスがウクライナのキーウ市バビ・ヤールで3万人以上を殺戮等)、劣勢となったヒトラーが形勢逆転を狙ったクルスクでの戦い等、興味深く戦記を追いました。そうなると、「戦車戦の激戦地、ポロフロフカとはどんな所?」とグーグルマップを立ち上げ、ストリート・ヴューで確認するのです。
戦記や軍事史に興味を抱くというのは、「軍オタ」でもない私の場合、連日多くの市民・兵士の犠牲が払われたという事実に、怒りと義憤が湧くからこそ、どうやってナチスという悪から勝利できたのかを、日を追って見て行きたいと考えたのでしょう。ただし独裁者としての悪行という点で、ヒトラーと大同小異のスターリンにも、批判の目が行ったのは当然です。彼らは人間の犠牲を数としか見ず、人を差別したり侮蔑することさえ、厭(いと)わなかったのです。
22年の正月頃から、この独ソ戦の舞台だった地で、ロシアのウクライナ侵攻の噂が広がり、にわかにきな臭くなって来ました。そして運命の2月24日です。ベラルーシ経由を含むロシアの全面侵攻です。ウクライナが直ぐに屈服するかと思われた戦況は、4月初旬、首都キーウでの攻防にロシアが敗退。首都周辺からは、ロシア軍が撤退しました。9月に入って、東部のハルキウ州もウクライナが奪還しました。一方、ドンバス地方、南部のザポリージャ州とヘルソン州では膠着し、長期化へと向かっています。80年以上前、この地であった戦争に興味を覚えていた私は、21世紀の現代にいきなり、それを彷彿とさせる戦いを見ることになったのです。
その意味で、今なお連日の様に報道されるウクライナ情勢の行方を、私は固唾を飲んで見ています。これまで、新聞そしてテレビで報道されて来た現代の戦争ですが、それに加えてネットでの報道、特にYou Tubeでのドローン映像などが、まるでこちらまでが戦場に置かれたかのように、臨場感をもって伝わって来ます。
しかし、今回のウクライナ戦争で最も異様に感じるのは、ロシアのプーチン政権とそれに追随する国民ではないでしょうか?2015年に中東シリアの内戦にロシア軍が介入した頃から、プーチン政権への好感は無くなっていましたが、今回の軍事行動はその非人道性や力によって解決しようとする傲慢さなど輪をかけてひどくなっています。ソ連崩壊後、一度は民主社会になったはずのロシアが、いつの間にかウラディミル=プーチンという独裁者とその一派に政府を乗っ取られた感があります。プーチンとは何者か?そこには十代半ばからスパイに憧れ、大学卒業後、諜報機関のKGBに身を置くことになったキャリアが今の権力者をつくったという流れがあります。諜報機関の性格として、目的のためには手段を選ばずという側面が存在します。そしてテロなどの暴力もいとわないという側面もあるでしょう。プーチンはそれを、今も実践しています。
22年は、ロシア関係の映画を幾つか見ました。春にウクライナを舞台にした『ひまわり』、夏にフィンランドから見た継続戦争を描いた『アンノーン・ソルジャー』、そして野党政治家の毒殺未遂事件を扱った『ナワリヌイ』です。『ナワリヌイ』は、プーチンが指示したと思われる狡猾な暗殺手法を暴露した快作でした。
それでも国民の中には、プーチンを強く支持する人々が多数います。これらはRT1という国営放送を見て愛国心を刷り込まれている人々でしょう。時代を越えて変わらない保守層です。ロシア史に通底する「千年の奴隷(亀山郁夫氏の言)」に甘んじている人々です。その政権はプロパガンダを垂れ流しています。嘘を繰り返しくりかえし、言い広めるのです。「ドンバスの虐げられている住民を救うためだ」とか、「ウクライナのナチス支配を終わらせるためだ」とか、ウクライナを戦場にしているにもかかわらず、「侵略戦争ではない(ラブロフ外相)」と真顔で言い張る厚顔です。10月でしたか、プーチンが核の威嚇を仄(ほの)めかしていた頃、「ウクライナが核の汚染物質をばらまく」とも平然と言っていました。私には、国土を蹂躙されているウクライナの人々を冒涜する行為に映りました。核使用への批判を浴びて、プーチンは相手が脅威を与えているのだと言い訳したつもりでしょうが、この「汚染物質」の件は、その後話題にも上らなくなりました。ころころと意見を変える気まぐれな独裁者に、翻弄されたくはありません。
7月初め、東京の小平中央公園で行われたウクライナ難民による祭りに出かけました
この嘘の刷り込みは、ヒトラーの言説、「嘘も百遍言えば真実になる」を思い出させます。そう、プーチンの行動は孤独な独裁者だったヒトラーと相(あい)似ています。彼が依然として国民からの支持が厚い理由として、90年代後半のロシア経済の混乱を収拾したという実績があります。ヒトラーもまた30年代の恐慌から軍拡による景気回復を図った人物として、当時のドイツ国民から支持されました。そして今、作戦行動に逐一口を出すと言うプーチンは、そうやってプロの軍人を翻弄したと言うヒトラーの二の舞を演じています。
プーチンが『特別軍事作戦』と呼ぶこの得体の知れない愚行を歴史になぞらえると、昭和の日本が思い出されます。1931年に、中国東北部で、『満州事変』と呼ぶ日本の軍事行動がありました。戦争と呼ばず事変としたのは、国際社会の批判をかわすためでした。この電撃的な行為も仕掛けたのは関東軍の諜報機関員が中心でした。ウクライナ戦争の場合は、KGBに変わったFSBが開戦の指揮をとったと言います。こうして見てくると、諜報機関や治安警察などの組織がのさばる国家は、座視できぬほど危ないのでは?と思えてきます。国民をプロパガンダでだまし、戦争へと向かわせた昭和の過ちは、廃墟と化した日本が無条件降伏する形で終わりました。満州事変に関わった軍人たちも、その謀略と非人道的な犯罪を問われて絞首刑となりました。
戦争のさ中に、ウクライナの今後を占うことはできません。しかし、もはや巨悪と言って良いプーチン政権は、瓦解するしか、本当の解決に至らないのではと思います。一方で皆がウクライナにばかり注目している間にも、その他の国でも悲劇は続いています。個人的には、教え子がミャンマーの政治難民の家族だったことから、今のミャンマーの軍事政権の横暴には、関心を持ち続けなければと強く思っています。
翻(ひるがえ)って、日本と我が家の有様ですが、ウクライナの戦争は当然、日本の安全保障論議を活発化させるでしょう。防衛費の増額もやむを得ないと思います。しかし、初めから2倍にすると言う主張はおかしいと思います。冷静な議論が必要なのです。古くから言われていたカルト教団が政権党と浅からぬ関係があったという、看過できない事件もあります。今のところ、これは有耶無耶にはできないという世論が広がっているのではと思います。
そして、より身近な家族についてですが、老いを感じ不安を抱えた私を含め、何とかなっています。教職をやめて数年、気がついて見ると、日常の生活は住んでいる自治体の公民館で、中国語を習ったり、再生可能エネルギーを中心とする未来を考えるサークルに入っていたり、福島の子供たちを夏に山梨にキャンプに連れて行くプロジェクトなどに参加しています。アルバイトとして働く職場も徒歩で通える近場にあり、よりローカルな生活になじんで来ています。
9月中頃、オランダとドイツを鉄道で旅しました。ドイツのケルン中央駅で
私は、もう少し体力つくりを心がけたいと思います。健康が維持できれば、旅を続けて行きたいですし、ウクライナやミャンマーの事にも少しは関わって行きたいと思います。特にウクライナの場合、それが勝利で終っても、廃墟と化した街を復興させるため、可能ならば、ひと汗かきたいと思っているところです。
これが私の年頭所感と言ったところです。
2023(令和5) 年 正月
以下は21年正月の新年のご挨拶です。
明けましておめでとうございます。新年も宜しくお願いいたします。
昨年をふり返ると、様々な思いが去来します。その中で大きかったのは、言うまでもなくコロナ禍の日々でした。
1月23日の木曜日は、通っていた外国語大学の中国語講座の最終日でした。その際、講師で北京出身の飯島先生から聞いたのは、「話題になっている中国起源の新型ウィルスは言われているよりも深刻」で、「武漢では重症患者が増えている。これまで中国当局はコロナを軽視していたが、こうした感染症の権威である医師が、習政権にメールを送り続け、当局もようやく重い腰を上げた」という意外な話でした。確かに、年末から新型ウィルスのことはニュースになっていましたが、人から人への感染もはっきりしませんでした。それを聞いて受講生の方たちと、「軽くはないんだね」と今後を心配したものです。
それからは、あれよあれよ、という形で日本にもまた世界にもコロナが広まりましたね。高齢者が重症化するという話に命の危険を感じた私は、感染症の本を読んだり、テレビのモーニングショーやNHKスペシャルの感染症特集をかなり視聴する時間が長かったと思います。ドイツのマールブルクにあるウィルス学研究所に学んだ岡田晴恵氏の本※1など、啓蒙的で役に立ちました。それにしても、明治人の北里柴三郎は偉大でしたね。
旅好きの私が海外行きを諦めねばならなかったのは、残念でした。2月に夏の欧州行きを予約し、春までにはそれをキャンセルする始末でした。そのキャンセルでの返金が帰って来たのは、ようやく10月。半年もかかってしまいました。
7月でしたか、我が家に大勢のお客さん。娘の大学の同期生たち9人がバーベキューをするとのことで、昼の時間にやって来ました。実はこの後、蜂が飛んでいたそうで、皆屋内に一時避難。おかげで居間はぎゅうぎゅう詰めになりました。これまでの来訪者としては、最多のグループでした・・・。
東京の郊外に住む身なので、都心の新宿区などの感染者が1000人を超える事態になっても、在住の市では未だにその数は百人を超えません。ところが、11月初め、その新宿区との往復を繰り返していた家族の者が、コロナに感染しました。発熱もそして味覚障害などもあったと言います。ちょうどGO TO キャンペーンを利用して久しぶりに日光へ夫婦旅行に出かけ帰って来た時でした。まずは濃厚接触者として保健所の駐車場で唾液を2cc採り、翌日には夫婦共に陰性との連絡を受けました。勤め先などに迷惑をかけなかったことが何よりです。しかし、その後半月、外出等は控えて今後の発症に備えて下さいと言われ、不自由な日々を過ごすことになりました。
そして年の瀬、コロナ感染者はうなぎのぼり。慣れもあり、当初ほどの危機感は持てませんが、さりとてこの勢いではコロナの波はひたひたと足元へとやって来ています。百年ぶりの感染症のパンデミックに、わが身と言えば、楽観と悲観を交差させています。
GO TOで出かけた日光の中禅寺湖畔、イタリア大使館別荘跡から見た男体山。雲がきれい。この日、奥日光で宿泊。
ところで、日光に出かけた11月6日の夜、ホテルに持参のパソコンで閲覧したのは、アメリカ大統領選の詳細な開票結果でした。この日丁度、激戦州と呼ばれるミシガン湖周辺の幾つかの州とペンシルヴェニアとが民主党のバイデン候補に逆転され、トランプの敗北が見えて来た時でした。昨年中私の心を占めていたのは、この大統領選挙でトランプが再選されるか否かでした。その帰趨は地球大の問題を考える時、大変重要な転機だと思っていたのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、トランプがとった政策と言ったら、この四年ろくなことがありませんでした。温暖化はないと言ってパリ協定を離脱するは、ラスベガスやフロリダなどで銃による大量殺人が行われても銃規制などしないと言ったり、黒人による抗議運動が起きれば連邦軍による鎮圧を叫んだり。極めつけは「コロナなんて風邪。消えてなくなる」という3月の発言。私には世界で最も責任ある国の代表が、地球を滅亡させる張本人になるのではと危惧していました。ようやく大統領選での敗北で、こうした危機が去るのでは?と思えるようになりました。
ところがです。選挙の敗北後も、「投票は盗まれた!」とツイッターで流すトランプ派のフェイクを信じ広める多くのアメリカ国民がいます。さらに不思議なのは、日本の右派勢力の中にこれをコピーして広める人たちまでいることです。失笑に絶えない、子供だましと言えるフェイクを真顔で信じる人々。SNS上で嘘をまき散らす人々。これは私には、言い広める悪人がいるだけでなく、他人の主張を何の疑いもなく信じる人が如何に多いかという恐ろしい現実を見せられていると感じます。とんでもない時代に生きていると。「嘘も百遍言えば真実となる」と豪語したヒトラーの時代に逆戻りしないことを願うばかりです。
(元旦に届いた高校時代の友が書いた賀状に触発され、これを追加しました。)
昨年のご挨拶で、我が家に隣接する緑地が消えようとしているとお伝えしました。これもコロナのせいで事の進展が遅く、地主は伐採をすると通知して来ましたが、未だに武蔵野の緑が残る雑木林は伐採に至っていません。結局、今年も落ち葉の処理に勤しんでいます。しかし、近所の人がもたらした話では、この緑地には40棟の住宅が建つ予定だとか・・・。今年中に景色ががらりと変わり、緑ももう見納めとなるでしょう。
我が家のささやかな良き話題と言えば、昨年から加入した市内のエネルギー問題を考えるNPOから提案され、二階ベランダに畳3枚弱の面積をもつソーラーパネルを設置し、発電を始めたことです。バッテリーやインバーターを揃え、夏にはエアコン、冬にはガスヒーターの電源などに利用し始めています。10年前、中古住宅をリフォームしてその家の寿命をさらに伸ばした我が家ですが、できればこうした省エネ・創エネの環境への負荷の少ない改築を夢見ています。その時は、屋根上にソーラーパネルが敷き詰められ、こだわっている太陽熱温水器も設置されるでしょう。
2階のベランダに置いて固定したソーラー(太陽光)パネル 南側に道路があるので採光は良好です
家族はと言えば、神戸の貿易関係の会社に勤める長男は、月一で東京に帰って来ます。来る度に女友達とあっているそう。長女の方は、何とかして今春には大学を卒業してもらいたいのですが、学業よりはバイトと遊びに夢中。9月に自動車免許を取って以来、我が家の車を借り出して遠出を繰り返し、遊びまわっています。そして妻の懸念は、今年90歳を超えている実母の様態。先月、何度目かの入院騒ぎがあり、今は点滴を受けながら命を繋いでいる有様です。しかもコロナのために面会もままならず、悩ましい限りです。そして私はと言えば、コロナで自宅にこもりがちで、読書やこのホームページ造りが進むと思いきや、どうもシャキッとしない日々を送っています。旅も何十年ぶりの日光へ一泊で行った以外は、二ヵ月に一遍のペースで山とを往復(大体、日帰り)する程度。これで健康面で不安があれば困りものですが、歯科医には通っていますが、その他は問題ないようです。検診を受けても、コレステロールや血圧が若干高めなだけで、特に治療の要はないと、世話になっている内科医から言われたばかりです。
さて、今年はどんな年になるのでしょうか?コロナは収束するのでしょうか?ドイツ在住の熊谷徹氏によれば、ベルリンのロベルト・コッホ研究所が近未来のパンデミックを予想し2013年1月発表したシミュレーションでは、終息には概ね3年かかりその間3回の波が来るとシナリオを描いていたそうです※2。SARSの変種を想定など条件は違いますが、一つの参考になるでしょう。もちろん3年と言わず一年半で終わってくれたら何よりです。ワクチンが配られたら躊躇なく注射するつもりですが、この冬が去った頃にコロナ消滅の希望が見えてくるのでしょうか?早期の撲滅を願うばかりです。そうでないと、旅にも安心して出かけられません。皆様もくれぐれもご自愛のほどを・・・。あらためて、今年も宜しくお願いします。
2021(令和3)年 正月 元旦
※1 岡田氏の著書『人類vs感染症』(岩波ジュニア新書)には、冒頭、マールブルクの聖エリザベトのライ患者救済のことが書かれています。マールブルクについては、このサイト「旅する編集人⑦のそのⅡ」に紹介があります。
※2 熊谷氏の著書『パンデミックが露わにした「国のかたち」』(NHK出版新書)によります。